
池田屋、寺田屋、近江屋に酢屋が加わりゴチャゴチャである。京都の二日目は坂本龍馬先生を巡る旅となる。
色んな屋を整理するとこうなるらしい。池田屋事件とは、1864年6月5日に新撰組が、密談していた尊攘派浪士を襲撃した事件である。


映画「蒲田行進曲」などで階段落ちのシーンが流れるが、土佐藩士が新撰組に襲撃され階段落ちした場所である。今では居酒屋チェーン店となっていた。


寺田屋事件とは1866年1月23日に龍馬先生が逗留していた寺田屋を伏見奉行所の役人が襲撃した事件である。四条河原町付近ではなく伏見にあるようである。


坂本龍馬先生は、材木商である酢屋の町家に海援隊の京都本部を置いたようである。酢屋の二階には坂本龍馬先生の縁の品が展示されているのである。
1866年の寺田屋事件への襲撃を受けては、酢屋から定宿を近江屋に移すが、1867年11月15日に近江屋にて暗殺されるのである。いまでは回転寿司屋になっていたが、入り口の横には京都市の記念碑が立っていた。


そして土佐稲荷や高瀬川の川沿いを歩く。そして明治維新の頃の名残りに遭遇するのである。伏見の寺田屋以外は河原町にあるのである。
近代国家が誕生する前夜に、この河原町付近で維新の志士や新撰組の志士が熱いドラマを繰り広げるたのだなーと思うのであった。