このブログは、カムC空次郎が食べた福島の美味いもの、喜多方ラーメン、読んだ本、登った山、入った温泉など、俺が思ったことを綴ったチョー個人的なデジタルライフログです。 旧カムCはこちらから ☞ http://camcsoraziro.blog121.fc2.com/
ハイコンセプト 「新しいこと」を考え出す人の時代


 とある大学の先生がこう言っていた。「普段は専門書しか読まないので、長い休みを利用して純文学を読む」と。(カッコイイ)

 とあるブロガーは、平日、炎上の火消しに走って本を読む時間がないため、ちょっとした休みを利用して本を読む事にする。(カッコワルイー!)

 概念が世の中の全てである。世の中を動かすエンジンの全てが概念である。そうコンセプトなのである。

 「皆がチャットのような機能で繋がり、ネットを通して互いのメッセージをやり取りできる。」

 と言うより「LINE」と言う概念を説明した方が投資家は、その事業に投資してくれるのである。(メイビー)

 古くはiモード、クールビズ、リベラル、地球温暖化、最近ではワークライフバランス、ダイバシティ、ハラスメント・・・・などなど。。

 概念こそが人の行動を変え、人の意識を変えるのである。そう概念を支配したものが世の中を支配するのである。

 と、読む前から概念について考えては、来年こそはハイコンセプトな事を考える年にしようと、

 朝風呂を浴びては、ビールを飲みながら思う大晦日なのであった。。
下山の思想


 30代半ばに、ダッチ親方とチョモランマとデンジマンと会津の名峰「飯豊山」に登る機会を得るのである。

 それから20回近く、その名峰を登るのであるが、最初の山登りほどキツイものはなかった。

 山小屋で酒を飲み、語り合い、頂上を制覇する。が、頂上を制するより下山し登り終えた瞬間の方が充実を味わえるのである。

 そう下山した瞬間に山旅は終わるのである。頂上を極めた瞬間に山旅は終わ訳では無く、下山という工程こそが大切なのである。

 五木寛之先生の「下山の思想」を読了する。その宗教観と死生観が素晴らしいのである。下山をどう充実させるかで、その山旅の価値が決まるのだなー。と思うのであった。。
呪われた明治維新


 明治維新から150年の月日が流れるのである。福島県の地方紙では維新再考といった特集が組まれているようである。
 
 仲間達との夏の山旅の際に、チョモランマが「明治維新はテロだ!」と言った言葉が頭から離れない。

 なので「呪われた明治維新」なる本を読む事にする。戊辰戦争とは、ヘタレ上司の尻拭いで京都守護守を拝命した藩主に’対する罰ゲームである。

 江戸城は無血開城したのに、現場の鶴ヶ城は血だらけである。いまの組織社会も昔と変わらず、無血な場所と血だらけの場所があるのである。

 そして今も昔も日本人の組織運営って変わんねーな、歴史は繰り返すのだなー、と本を読み終え思うのであった。。
雨ニモマケズ


 「にほんごであそぼう」がサブタイトルである。日本語で書かれた名文を子供でもわかるように解釈した本である。

 それは何気に好きな一冊なのである。「雨ニモマケズ」や「方丈記」などは、日本語を天才チックに組み合わせた天才チックな日本語なのである。

 日本語、言葉とは人の心を軽くしたり、人の心を重くしたりするもである。「にほんごであそぼう」は遊び心があるのか、読むと心が軽くなる一冊なのである。。
これ、いったいどうやったら売れるんですか? 身近な疑問からはじめるマーケティング


 モノが売れない時代である。売れても儲からない時代である。一方でモノが売れ、儲かっているモノもある。

 この本にも時計の事例などが紹介されてる。何故なのか。

 答えは一つである。コモディティ化してるか否かだけである。コモディティとは日用品と言う意味である。

 誰もティッシュのブランドに拘りを持たないし、誰もトイレットペーパーのブランドにこだわらないのである。

 つまりコモディティ化すると、代替が効く、ファンがいない、多くのライバルがいる。だから安売りに走る。といった悪循環、つまりレッドオーシャンに陥るのである。

 なので、売れて儲かるにはブランド化するとか、インスタ映えするとか、オンリーワン化するとか・・・そう、ブルーオーシャンを目指すべきなのである。

 つまり、儲かるには「余人をもって替えがたい」戦略しかないのである。人材さえコモディティ化する時代である。そんな時代にこそ読むべき本であると思うのであった。。