

何気に宗教の歴史について語る本が好きなのである。ユダヤ教とキリスト教の関係は、なぜイスラム教徒とキリスト教徒は聖地エルサレムを巡って争うのか。
アラビアのロレンスの三昧舌による政治的、宗教的な混乱。石油争奪戦に宗教観が絡んでは起こる地政学的なリスク。
そう宗教の歴史とは世界史そのものなのである。
日曜日の早朝に「テレビ寺子屋」などの教養番組を見る機会があるが、その番組で親鸞の「歎異抄」なる書籍が紹介されていた。
キリスト教やイスラム教には教祖の存在があり信仰の世界観である。が、仏教とは心の科学なのである。
ブッダの生き方に共感した弟子達が自分の心を見つめながら科学をする宗教なのである。(たぶん!)
そう親鸞の「歎異抄」を読んで、会津若松をランニングしては55回目の人生がスタートするのであった。。

ブックオフにて一冊100円にて手に入れる。それは懐かしい本である。
小学校二年生の時に、二回目の転校をする事になる。そして2年2組の教室の席に座る事のである。
担任の先生は「馬場先生」であった。母と同じ位の歳であった記憶がある。
それはとても優しい先生で、日に焼けた顔とオデコを出した髪型が印象的であった。
時には褒められ、時には怒られたが、余りにも先生が好きなので、「お母さん」と呼んでしまっては、照れた記憶がある。
教室には「はだしのゲン」があり、それを読みながら戦争の悲惨さと、同じ日本人の身勝手さに怒りを覚えたものである。
大人になったら、絶対にこんな人間にはならない。と思ったものである。今、思えば、「馬場先生」は日教組だったかも知れない。
しかし、そんな事は関係ない。人の心と優しさを教えてくれた先生が「馬場先生」なのである。
小学5年生に上がる時に、「馬場先生」は異動となってしまったが、時折、心配しては手紙をくれるのである。
「○○○君(本名)なら大丈夫だよ」と温かいメッセージが添えられる。高校2年生まで続くが、自分が筆不精のため、音信が途絶えるのでる。
あれから数十年が過ぎる。今ではポンコツながらもジャーマネをしているのである。
「はだしのゲン」を読みながら思う事がある。人の心と優しさを教えてくれた「馬場先生」に、名刺を渡しては、お礼を言いたいと。


時に人生を変える本がある。その一つが曽野綾子先生の「太郎物語」である。友人のヤッさんに進められ中学生の頃に読むのである。
太郎は陸上をやり、料理を作り、魚屋の魚友さんの自由な人生に憧れる。そして五月さんなる年上の女子高校生に恋を抱くのである。
自分も高校生になり陸上部に入る。長距離選手なのに100m走っては、テニス部からもらった軟球で後輩と野球をしては毎日の部活を過ごす。
夏休みには料理を研究し、ラーメンや焼きそば、ナポリタンなどを作ってみる。毎日の通学時にすれ違う年上の女子高校生に憧れるが、恋は実らず。
なのである。が、その頃の財産なのか、料理だけは、今でも苦にならない。
喜多方の実家から持ってきた手垢の付いた小説を観ながら、そんな事を思うのであった。。


今年は本を読もうと思う。お袋が会津の郷土料理「こづゆ」を作るので、竹輪を買って来て欲しいと言う。


ナショナルブラランドな竹輪ではなく、喜多方のスーパーで売っている牧歌的な竹輪が良いと言う。
朝メシを兼ねて、朝ラーと共に歩いて行く事にするのである。何故なら車が無いからである。
シンプルな醤油ラーメンを喰らっては、ウェルシアに行く。ナショナルブランドではあるものの、日本一売れている竹輪が売っていた。
しかし牧歌的では無い。ので更に遠くにあるVチェーンに足を運ぶ事にする。うーん、ナショナルブランドの竹輪しか売っていない。
またウェルシアに足を運ぶ事にする。なんか疲れてきたので、セブンイレブンのドアを開ける。その書棚に本が売っていた。
それは「GEORGIA 世界は誰かの仕事でできている」のCMをロジカルに説明したような本であった。。
セブンイレブン限定本には特別な冊子が付いていた。(その一言、一言が奥が深い!)

そして結果的に朝メシを兼ねながら竹輪を求める歩き旅は2時間を要し、お袋が遭難したのかと心配してはスマホに電話を入れるハメになるのであった。。