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このブログは、カムC空次郎が食べた福島の美味いもの、喜多方ラーメン、読んだ本、登った山、入った温泉など、俺が思ったことを綴ったチョー個人的なデジタルライフログです。 旧カムCはこちらから ☞ http://camcsoraziro.blog121.fc2.com/
東日本大震災から二年の歳月が流れる
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 あれから二年の歳月が流れるのである。いわきの海岸線にあるコンビニの被害を目の当たりにした際には愕然としたものである。

 震災直後に撮った写真と今年の写真を見比べると人間の凄さを感じずには居られないのである。

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 遅々として進まぬ復興に業を煮やす報道もあるが、このような風景を目の当たりにすると市井の人々は少しづつかも知れないが、物心ともに復興に向って日々前進しているのではないのかと思うのである。

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 午後2時46分には誰と言うでもなく職場の仲間たちと黙祷を捧げるのである。日本人が人の心を忘れない限り復興は必ずや訪れると思うのであった。

 東日本大震災で犠牲となられた方々の御霊の御冥福を心からお祈り申し上げます。


東日本大震災の記録 その十五
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 次男坊の授業参観へと足を運ぶ。その日は国語の授業を公開していた。主人公の心の機微を文脈やセンテンスから読み取っていく作業である。

 小学生は真面目に授業に取り組んでいる。放射能汚染に負けずに勉学に励み福島県から早く巣だってほしいなーと思うのである。

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 小学校の校庭の表土除去がようやく始まったようである。

 しかしながら福島県がミスター100ミリシーベルトをスポークスマンとして雇い、学校への20ミリシーベルト摘要を容認したため、県外への児童転出が止まらないようである。

 自分の周りからも数組の家族が県外へと転出するようである。


 そういえば牛から放射性物質が検出されたと騒いでいる。小学生の尿からセシウムが検出されているのに、牛から放射性物質が検出されない訳ないじゃん。先を読めよって感じである。

 いま頃なにを騒いでいるのかサッパリ意味不明である。自分の家庭や周りの全うな人々は数ヶ月前から福島県産の食材を子供には与えていないし、水道の水も飲んでいない。

 ペットボトルの回収日などは、ミネラルウォーターのボトルで溢れかえっている現状である。国や県、ステレオタイプなマスコミの報道などを誰も信じていないのである。


 何かの本に、貨幣制度が成立するには貨幣を信頼することが前提にあるとの下りがあった。

 日本銀行という権威が紙幣を発行し、国民が紙幣の価値を信じるから貨幣制度が成り立つのである。

 だから数百枚の一万円札という紙切れで高性能な車が買えたり、数千枚の紙切れで快適な家が買えるのである。

 つまり国民が一万円に対する信頼を放棄したら経済はソ連のルーブルのように破綻するのである。


 今回の原発事故で失ったものは色々とあるが、一番大きな喪失物は国や県への信頼と帰属意識ではないのかと思うのである。

 この事は福島県にとって、非常に大きい痛手であり、将来に禍根を残す出来事である。国民から信頼を失った国や県はこの先、どうなっていくのであろうか。

 福島県に対する信頼を放棄し帰属意識を投げ捨てたら、福島県は国破れて山河在りである。


 この小学校で学ぶ子供達も、いま直ぐには福島県を離れないとしても、将来は福島県を離れ、そして福島県に帰ってくることも無いのだろうなーと思うのである。

 自分の息子達も将来は他県に移り住み安全な場所で幸せな家庭を築いてほしものである。そんな事を国語の授業を観ながら思うのであった。。


東日本大震災から見えてきたもの
 東日本大震災から100日以上が過ぎるのであるが、復興はもとより復旧作業もままならない感じがする。

 津波の被害など震災の爪痕が深く残る今回の現状を太平洋戦争の敗戦に次ぐ、二度目の敗戦と称する評論家もいる。

 「二度目」に込められた意味とは、日本人に突きつけられた「二度目の転換」といったものなのだろう。

敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
(2004/01/30)
ジョン ダワー

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 一度目の転換期に日本人は何を感じ、どのように苦難を乗り越えて復興を成し遂げたのか。それが知りたくなり、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を読み始めるのである。

 一度目の敗戦時は、日本全体が焦土と化し日本人の価値観を根底から覆するほどのパワーが日本全体を覆い尽くしたのだと想像するのである。

 今回の震災も東日本の広い範囲に被害をもたらしたが、日本全体が焦土化したわけではない。

 テレビからは下らないバラエティーやステレオタイプの報道が垂れ流されている。

 結局、二度目の敗戦とされる現状下において、日本全土を覆う共通の価値観など存在しないのである。

 そこで見えてきたものが中央政府による統制の限界である。敗戦後は共通の価値観のもと中央政府による一元的なコントロールが功を奏し復興を遂げたのだと想像する。しかし今回はどうなのだろう。

 文部科学省の20ミリシーベルトの基準に現場は振り回され混乱に陥る。市町村は県の指示を仰ぎ、県は国の指示を仰ぐといった構図のために対応が後手々になっている感が否めない。

 権限も金も現場から一番遠い所にあり、復旧や復興の青写真や原発事故の収束、そして放射線汚染の抜本的な対策等のゴールが見えて来ないのである。

 放射能汚染対策が象徴的であるが、業を煮やした市町村が表土除去やエアコンの設置などの独自の対策を決める始末である。

 国策として展開してきた原子力発電の事故の顛末を市町村が責任を持つ始末である。この構図っていったい何なのだろうかなーと思ってしまうのである。
 
 日本は少子高齢化、財源の健全化、国際競争力の強化などの構造的な課題を抱える上に、この震災に見舞われる国難の状態である。

 難題を抱え「二度目の転換」を迫られているのであれば、ここは道州制などを取り入れるなど大胆な改革をすべきである。

 権限と金を地方に渡し、地方政府は地方で出来る作業を自らの判断で実施する。復興や放射能汚染の対策を地方の判断により迅速に行う仕組みを導入すべきである。

 中央政府は「国家戦略」や「外交戦略」「この国のかたち」を考えればよいのである。

 今までのやり方を踏襲し抜本的な改革を導入せずに、新しい日本を創ることが本当にできるのかなーと報道を見ながら思う、今日この頃であった。。
私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論
私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)
(2011/05/10)
武田 徹

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 この本は入手困難な『「核」論ー鉄腕アトムと原発事故のあいだ』を増補した書籍である。

 原発関連本は、どちらかというと自然科学的な切り口で語られるものが多いが、この本は社会科学的な切り口で核を扱った重厚な著作である。

 この書籍では、「核」というものを行政史、風俗史、政治史、思想史、社会史など多岐に渡って論じているのである。

 なぜ日本は核の平和利用に踏み切ったのか、アメリカは東西冷戦の時において、なぜ日本に核の平和利用を促したのか。

 その時の政治は、その時のオピニオンリーダー達の思想は、そして、その時に日本社会は「核」をどう捉え、受け入れたのか。それらの事がこの著作を通して見えてくるのである。

 日本が手に入れた豊かさの来歴と、その道程の光と影が解るとともに、社会科学的な文脈に用いられるメタファーが何かイイカンジなのであった。
FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン
FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン (朝日新書)FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン (朝日新書)
(2011/05/13)
広瀬 隆

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 本を読んでも何も解決しないのであるが、ついつい原発本を買っては読んでしまうのである。

 広瀬氏は長らく原発反対派であるようで、原子力行政に対する突っ込や批判が滅法鋭いのである。

 このような本を読むと原発に対する行政の不備が手に取るように解るが、まったくもって何も考えていなかったようである。。

 原発事故が起きた際の避難シミュレーションや当面を凌ぐ食事やガソリンの備蓄、原発事故の影響度を測定する体制などなど、福島県は全く持って事前に検討しておらず、起きてみたら後手後手のゴタゴタになり、そして結果としてアナーキーが続くのである。

 ところが事前準備はしてないかわりに、いざ事が起こってみると、今度は一転して余計な事を行政が考え始めるのである。

 放射性物質がついた表土や瓦礫をどう処理すればよいのか、何処に持っていけばよいのかとか、汚染されたプールの水を流していいのだろうかとか・・・

 今まで何も考えてこなかったのだから、これからも何も考えずに表土や瓦礫などは福島第一原発の敷地へ持って行けば良いのである。

 何に対して気を使っているのかサッパリ解らないが、福島県って本当にお人好しで本当に頓珍漢だなーって思うのである。

 そして、これからもお人好しで頓珍漢な原子力行政が続くのかなーと思うと、未来が暗くなりトホホって思ってしまうのであった。

 しかりながら原子力行政に対しては福島県より被害の少ない首都圏の人々の方がクレーバーでありワイズです。